中学校時代の想い出
私の中学校時代は昭和50年頃です。当時、小学校から中学校に上がるには、男子は全員丸坊主にする必要がありました。大阪の市立の中学ですが、なぜか男子の髪の毛は2枚刈りと言って、バリカンで髪の毛の長さを5mmにする必要がありました。多くの小学6年生は涙を流して床屋で2枚刈りにしたものです。
人生で1度くらい、坊主頭にする時期があっても良いと思いますが、頭に縫い傷があったので少し禿げている部分があり恥ずかしかったことを覚えています。今でも2枚刈りなんでしょうか?最近は実家に帰っても母校の中学校には行ってないので分かりません。
中学の1~3年はあっと言う間でした。入学式の前にお祝いで買ってもらった初めての腕時計がとてもうれしかった事を覚えています。たしか、セイコーのファイブアクタスと言う時計が定番で、他の友達もみな同じような腕時計をしていたと思います。文字盤のガラスがちょっと9面ガラスカット見たいになっており、とても美しい時計でした。
そして中学3年生の頃の思い出は、初めて行ったアリスのコンサートと英語の先生の自宅で観たキャンディーズの解散コンサートです。
ところで中学3年生の担任の先生は、社会科の先生でした。今思うととても素晴らしい先生で、私がその後歴史好きになるきっかけを与えてくれた先生です。当時は、先生と生徒の間で日記を担任の先生に提出して(全くの任意)先生が読んでくれてコメントをくれる仕組みがありました。いつも先生は私に沢山コメントを書いてくれていたのを覚えています。先生のコメントを読むのが楽しみでした。
ある時、掃除の事について自分なりの意見を日記に書いたのですが、先生がそれを「君の日記に書いた事をクラスのみんなに読み上げてもいいか?」と尋ねられた事があります。当時の私は何でも感じたことを素直に自分の意見を述べる生徒だったので、先生に私の意見が目に留まったのでしょう。建設的な意見だったと思います。掃除をさぼるやつもいる、それをどうすれば良いかと言った提言の内容の日記だったと思います。残念ながら、私は読んでいいと言ったのか読まないで欲しいと答えたのか覚えていません。でも、なぜかその後私はクラスで一目置かれる存在となっていました。多分、読み上げられたのかも知れません。懐かしい思い出です。
さて話は変わりますが、別な思い出として、初めてのコンサートがあります。当時、全くニューミュージックを知らない私は、中学3年生のクラスの友達に誘われて、同じクラスの女子達と行った人生初のコンサートがアリスでした。所謂ダブルデートみたいな。アリスの曲の「冬の稲妻」が衝撃でした。それまではヤンタン(ヤングタウンというラジオ番組)のDJとしてしか知らなかったおもろいオッサンがリーダーの谷村新司で、こんなに歌が上手くてカッコいい人だったと知って衝撃を受けたのを今でも覚えています。先日、谷村新司さんが亡くなられましたが、本当に残念です。またあの頃の中学生の頃のメンバーでアリスのコンサートに行きたかったです。夢叶わず。 とは言え、そんな彼らも今やどこでどんな生活をしているのやら・・・ 残念な事に中学3年生の同窓会は今だに実現していないのです。もし、3年1組の同窓会の案内が来たら、飛び跳ねて喜んで、どんな予定もキャンセルしてでも参加すると思います。
このコンサートは大阪の大阪厚生年金会館だっと思うのですが、日にちは覚えてません。 幕が上がっての一曲目が「冬の稲妻」だったと思いますが、何月何日だったか思い出せないです。ネットで調べる限り、おそらく1977/5/14か、1977/12/19(多分こっち)と思われます。・・・ 日記付けていればよかったなぁ・・・
キャンディーズの解散は確か中学3年生の頃の英語の先生のご自宅の新婚家庭に友達とお邪魔して、すき焼きをご馳走していただいた時に、テレビで解散コンサートが行われていた事を覚えています。キャンディーズの解散コンサートはネットで調べることができるので、1978年4月4日ですね。つまり、私が中学校を卒業した後に恩師の自宅に招かれて友達と行っていた事になります。そして、その後、このグループにいた女子と私は付き合う事になるのです。初めての彼女でした。
色々あってその後高1まで付き合った彼女は今どこでどんな人生を送っているのやら?
高校時代の思い出
高校時代の思い出は、淡い恋の想い出と、辛い死別の想い出と、優しかった友達たち感謝してもしきれない友達たちの想い出です。
辛い死別は母であることは別のブログで書きました。ちょうど大学受験を控えての高校3年生の夏の出来事でしたが、まさか自分の母親が私が高校生の時に亡くなるなどとは全く想定外の出来事でした。当時はまだ癌と言えば丸山ワクチンとかが効くかも知れないと言う程度の、不治の病として受け止められていました。毎年受けていた婦人科のがん検診で見つかり、1年の間に帰らぬ人となりました。悔やんでも悔やみきれないですが、私にとっては医者から聞かされる話も、入院生活も、すべて今となっては過去の辛い記憶です。もっともっと母にはいろいろと聞いておきたかった。でも、まさか死んでしまうなんて思いたくもないから聞けなかった。高校生の私にはそんな死を前提として母と向き合う心の余裕はなかったです。ただただ生きて欲しかった。ただ回復する事だけを願って毎日毎日面会時間ギリギリまで病院で過ごしたことを鮮明に覚えています。
残念ながら高校3年生の8月の夏休みに母は亡くなりましたが、母のお葬式には3年生のクラスメート全員が来てくれました。びっくりしました。急に大勢の高校生たちが焼香に来て、そして、クラスメートの一人が私に、「頑張れよ!」って声をかけてくれました。もう、辛い気持ちで沈んでいたので、どんな言葉でも友達から声を掛けられたことはうれしかったです。なによりも、クラスのみんなが来てくれた事は嬉しかったです。霊柩車をクラスメート全員が見送ってくれました。母も息子の友達がお葬式に参列してくれた姿を見て良い友に恵まれた私を見て安心してくれたろうと思います。
さらに私にとっての驚きは、高校の授業に戻った私にクラスの女子が交代で私が卒業するまでお弁当を作ってくれたのです。当時、女子のクラスメートと、どんな会話があったのか覚えてませんが、クラスの女子が代わる代わる私にお弁当を作ってきてくれたのです。なんてお礼を言ってよいか分かりません。なんで私は当時断らなかったのか覚えてません。もしかしたら、断ったけど続けてくれたのかも知れません。卒業後に彼女たちにはお礼の手紙を全員に送りました。私が忌引きで安んでいたときに、ホームルームとかで何かみんなで会話して決めた事なんでしょうか? 私には知る由もありませんが、本当に嬉しかったです。好意に甘えてしまって良かったのどうか、今でも自問してしまいますが、この出来事は一生忘れることはありません。みんな、ありがとう!本当に感謝しています。なんて言って良いか分かりません。クラスメートの男子には、「お前ええなぁ~」と言われたのもうっすら覚えてます。
こんな話は同窓会でも面と向かって女子に言ったことはありません。このブログを当時のクラスメートの女子が、たまたま発見して読んでくれる事を願うばかりです。
以上、中学と高校時代の私の想い出でした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
投稿者プロフィール
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”なんでも自分でやってみる” をテーマに、ブログを書いてます。素人には無理と思う様な事も、実際にやってみるとあっさりと出来たりする事もあります。失敗もありますが、失敗する事で経験となり、次は少し上達したりします。それが楽しいです。そんなDIYの情報を発信して行けたらと思ってます。仕事はAIやクラウド関連を担当してます。そんな訳でプログラミングやシステム構築も趣味と実益を兼ねてDIYを楽しんでます。ギターはもともとクラシックギターを学び、インストルメンタル専門でしたが、高校生の頃にテレビでみた卒業の映画でPaul Simonの曲に憧れて、それ以降いろんなジャンルの弾き語りも楽しんでます。S&Gの曲なら楽譜なしで弾けます。^^; また最近は独学でピアノも始めました。すでに4曲ほどレパートリーがあります。Twitterの方でも発信していますので、ぜひフォロー下さい。
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